顔色を伺い続ける事は相手を見ていないのと同じ

人の顔色だけをい続けて生きていると自分を失くし、余裕をなくし、家族の時間も失くし、相手からの信頼も得られず

ただただ自分の精神を削るだけの日々になる。驚くほどうまくいかなくなるのだ。

それはなぜか。

相手の顔色だけを窺うのという行為は、自分が傷つかない事が最優先であり

結局相手の気持ちを考えることはほぼできていないからだ。

そこから抜け出すためには、「相手に好かれてる、嫌われてるを考えても全く無意味」これに気付けることだと思う。

顔色を伺う人はやはり嫌われたり批判されるのが怖い人だと思う。

その要因は幼少期の親との関係や思春期の友人関係等人それぞれだと思う。

その時その時で悩みながら結局どうすれば抜け出せるか分からないまま大人になってしまった人も多いと思う。

でもそんな生き方を続けているといつかは行き止まりが来るのだ。

何故なら「自分」という個体には限界があるからだ。

増えていく人間関係の全ての人の顔色を伺い、自分を殺し、その場しのぎのやり方で相手との関係を続けていく。

本当の自分は違う本音があるからそれを守りたくて

時には誤魔化したり嘘をついたり、そのうち外の関係との整合性が取れなくなって人からの不信感になったり、

またそれが自分への不信感になったりする内に人が怖くなり自分に自信がなくなり、生きているようで生きていないそんな毎日を送ることになってしまう。

でも大事なことは、相手に嫌われていようがいまいが、

相手に誠意で応えること、相手が困っていたら、例え近づくなオーラを出していても「大丈夫?」と声だけでも掛ける気持ちだ。

親しい関係からそうなれるのは割とたやすいことだろう。

しかしそうでなくても、人と人との関係には見返りを求めず、自分の気持ちに勇気を持ち、相手を思いやるという精神が必要なのだと思う。

そういう気持ちを持てば、相手の顔色ではなく、全体の事を見て

相手の大事な事にもっと気付けるようになるのではないかと思うのだ。

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